『吾妻鏡』によれば・・・
1193年(建久4年)5月16日、父頼朝とともに富士の巻狩りに参加した頼家は、季隆の助けを借りて、見事鹿を射止めたそうです。
1205年(元久2年)6月22日、畠山重忠の乱では、季隆の放った矢が重忠に命中します。季隆は、直ちに重忠の首を北条義時に届けたといいます。
宝積寺 厚木市にある愛甲季隆ゆかりの寺。裏山には季隆の館跡もあります。 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/hoshakuji.htm |
季隆は、1213年(建保元年)、和田義盛に味方した和田合戦で滅亡しました。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。