2011/08/10

鎌倉散策:伝説の残る橋

二ツ橋
明王院門前の滑川に架かる橋。
「けがなし石」と呼ばれる2つの石があって、
橋から落ちても怪我をしなかったという。

歌ノ橋
渋川兼守は無実の罪を晴らすために、
十種の和歌を荏柄天神社に奉納した。
その和歌をみた将軍実朝は感動し、
兼守を無罪放免としたという。
無罪となったお礼にと架けられたのが歌ノ橋
かながわの橋100選。鎌倉十橋
(金沢街道沿い)

関所橋
小田原北条氏の時代、
荏柄天神社修理のための通行税が徴収されていた。
その関所がこの辺りにあったという。
(金沢街道沿い)

太鼓橋
鶴岡八幡宮源平池に架かる橋。
1182年(寿永元年)に最初の橋が架けられた。
当時は朱塗りの橋だったことから、
「赤橋」と呼ばれていたという。
現在の太鼓橋は昭和2年に架けられたもの。

東勝寺橋
東勝寺跡を流れる滑川に架かる橋。
青砥藤綱は、この橋から10文を落とした。
家来に50文の松明を買ってこさせて、
落とした10文を探させたという伝説がある。
東勝寺橋は、大正13年に架けられたアーチ橋で、
鎌倉市の景観重要建築物等に指定されている。

琴弾橋
蛭子神社の横を流れる滑川に架かる橋。
昔、この橋から見える小御所山に、
「琴弾の松」という名木があった。
風がわたると琴を弾くような音がしたという。

夷堂橋
本覚寺門前の滑川に架かる橋。
かつて、この橋のたもとに夷堂があったことから、
夷堂橋という。
この辺りの滑川は、「夷堂川」と呼ばれていた。
かながわの橋50選。鎌倉十橋

魚町橋
大町四ツ角付近に架けられた橋。
鎌倉時代の小町屋の一つに魚町がある。
鎌倉時代、この辺りは商業地として栄えた。

逆川橋
大町四ツ角付近に架かる橋。
下を流れる逆川が海とは逆方向に流れているため
「逆川橋」と名付けられたという。
鎌倉十橋

豆腐川橋
豆腐川の河口(材木座海岸)に架けられた橋。
伊豆に流罪となった日蓮が船出した地といわれている。

琵琶橋
鶴岡八幡宮一の鳥居と二の鳥居の間は、
道が外に彎曲していたため「琵琶小路」と呼ばれていた。
「琵琶橋」という名はそこに由来している。
1213年(建保元年)の和田合戦では激戦地となった。
鎌倉十橋

下馬橋
昔、若宮大路下馬四ツ角から鶴岡八幡宮まで、
馬の乗り入れが禁止されていた。
そのため、参拝するときは、ここで馬を下りたという。
そのため、「下馬」と呼ばれている。

針磨橋
極楽寺川に架けられた橋。
昔、この付近に針金を磨く老婆がいたので、
「針磨橋」と名付けられたという。
また、極楽寺の我入道という僧侶が、
針を磨いていたという説もある。
そのため、別名を「我入道橋」。鎌倉十橋

音無橋
七里ヶ浜に注ぐ音無川に架けられた橋。
昔、音無川の源流近く(聖福寺跡付近)には、
砂地のため音のしない「音無の滝」があったという。

行合橋
日蓮龍ノ口で処刑されそうになったとき、
江ノ島付近から大きな「ひかりもの」が飛んできて、
処刑が中止になったという。
その折、龍ノ口からは「処刑できない」という使者が、
幕府からは「処刑中止」の使者が出された。
両方の使者が出会ったのが行合橋だったという。


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