二ツ橋 明王院門前の滑川に架かる橋。「けがなし石」と呼ばれる2つの石があって、 橋から落ちても怪我をしなかったという。 |
歌ノ橋 渋川兼守は無実の罪を晴らすために、十種の和歌を荏柄天神社に奉納した。 その和歌をみた将軍実朝は感動し、 兼守を無罪放免としたという。 無罪となったお礼にと架けられたのが歌ノ橋。 かながわの橋100選。鎌倉十橋 (金沢街道沿い) |
関所橋 小田原北条氏の時代、荏柄天神社修理のための通行税が徴収されていた。 その関所がこの辺りにあったという。 (金沢街道沿い) |
太鼓橋 鶴岡八幡宮の源平池に架かる橋。1182年(寿永元年)に最初の橋が架けられた。 当時は朱塗りの橋だったことから、 「赤橋」と呼ばれていたという。 現在の太鼓橋は昭和2年に架けられたもの。 |
東勝寺橋 東勝寺跡を流れる滑川に架かる橋。青砥藤綱は、この橋から10文を落とした。 家来に50文の松明を買ってこさせて、 落とした10文を探させたという伝説がある。 東勝寺橋は、大正13年に架けられたアーチ橋で、 鎌倉市の景観重要建築物等に指定されている。 |
琴弾橋 蛭子神社の横を流れる滑川に架かる橋。昔、この橋から見える小御所山に、 「琴弾の松」という名木があった。 風がわたると琴を弾くような音がしたという。 |
夷堂橋 本覚寺門前の滑川に架かる橋。かつて、この橋のたもとに夷堂があったことから、 夷堂橋という。 この辺りの滑川は、「夷堂川」と呼ばれていた。 かながわの橋50選。鎌倉十橋。 |
魚町橋 大町四ツ角付近に架けられた橋。鎌倉時代の小町屋の一つに魚町がある。 鎌倉時代、この辺りは商業地として栄えた。 |
逆川橋 大町四ツ角付近に架かる橋。下を流れる逆川が海とは逆方向に流れているため 「逆川橋」と名付けられたという。 鎌倉十橋。 |
豆腐川橋 豆腐川の河口(材木座海岸)に架けられた橋。伊豆に流罪となった日蓮が船出した地といわれている。 |
琵琶橋 鶴岡八幡宮の一の鳥居と二の鳥居の間は、道が外に彎曲していたため「琵琶小路」と呼ばれていた。 「琵琶橋」という名はそこに由来している。 1213年(建保元年)の和田合戦では激戦地となった。 鎌倉十橋。 |
下馬橋 昔、若宮大路の下馬四ツ角から鶴岡八幡宮まで、馬の乗り入れが禁止されていた。 そのため、参拝するときは、ここで馬を下りたという。 そのため、「下馬」と呼ばれている。 |
針磨橋 極楽寺川に架けられた橋。昔、この付近に針金を磨く老婆がいたので、 「針磨橋」と名付けられたという。 また、極楽寺の我入道という僧侶が、 針を磨いていたという説もある。 そのため、別名を「我入道橋」。鎌倉十橋。 |
音無橋 七里ヶ浜に注ぐ音無川に架けられた橋。昔、音無川の源流近く(聖福寺跡付近)には、 砂地のため音のしない「音無の滝」があったという。 |
行合橋 日蓮が龍ノ口で処刑されそうになったとき、江ノ島付近から大きな「ひかりもの」が飛んできて、 処刑が中止になったという。 その折、龍ノ口からは「処刑できない」という使者が、 幕府からは「処刑中止」の使者が出された。 両方の使者が出会ったのが行合橋だったという。 |
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