2011/08/25

鎌倉幕府の歴代将軍

鎌倉幕府源頼朝が創始し、源氏三代が将軍を務めた後、摂家将軍、親王将軍が続き、九代守邦親王のときに鎌倉幕府が滅亡しました。


初代:源頼朝

1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵を果たし、鎌倉に入ります。
1185年(文治元年)、平家を壇ノ浦に滅ぼし、
1189年(文治5年)、奥州藤原氏を滅ぼして全国を制覇します。
そして、1192年(建久3年)に征夷大将軍に任ぜられました。
1199年(正治元年)正月13日、亡くなっています(参考:旧相模川橋脚)。


二代:源頼家

父頼朝の亡き後、その家督を継ぎますが、将軍としての実権を奪われ、
1203年(建仁3年)、伊豆修禅寺に幽閉された後、翌年、暗殺されました(参考:比企氏の乱)。


三代:源実朝

兄頼家の跡を継いで将軍に就任しますが、実権は北条氏に握られていました。
1219年(承久元年)、甥の公暁に暗殺されています(参考:源実朝の暗殺)。

(参考:源氏の繁栄・衰退・再興・滅亡(okadoのブログ)



~摂家将軍~


四代:藤原(九条)頼経・・・摂家将軍

実朝の後任には、北条氏によって摂関家より将軍が迎えられます。
次第に自らが実権を握るべく名越氏と糾合しますが、1244年(寛元2年)、北条経時によって将軍職を廃され、1246年(寛元4年)には、北条時頼によって鎌倉を追放されました(宮騒動)。
1256年(康元元年)8月11日死去。


五代:藤原頼嗣・・・摂家将軍

頼経の子です。
1251年(建長3年)、北条時頼によって鎌倉を追放されます。
1256年(康元元年)9月25日死去。


~親王将軍~


六代:宗尊親王・・・親王将軍

1251年(建長3年)、頼経を廃した北条時頼は、後嵯峨上皇の皇子を将軍に迎えます。
1266年(文永3年)、正室近衛宰子と僧良基の密通事件を受けて将軍を廃され、鎌倉を追放されています。
1274年(文永11年)8月1日死去。


七代:惟康親王・・・親王将軍

宗尊親王の子です。
1289年(正応2年)、将軍を廃され鎌倉を追放されました。
1326年(嘉暦元年)11月30日死去。


八代:久明親王・・・親王将軍

後深草上皇の皇子です。
1308年(延慶元年)、将軍を廃され鎌倉を追放されました。
1328年(嘉暦3年)10月14日死去。


九代:守邦親王・・・親王将軍

久明親王の子です(五代惟康親王の孫にも当たります。)。
1333年(元弘3年)、新田義貞によって鎌倉幕府が滅ぼされ、最後の将軍となりました。
この年、鎌倉で亡くなったと伝えられています。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。