2011/08/08

源氏三代(頼朝・頼家・実朝)の墓

源頼朝は、1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵をし、鎌倉に武家政権を築きました。
しかし、源氏は、頼朝の挙兵からわずか40年余りで終わってしまいます。


~源頼朝の墓~


1199年(正治元年)正月13日、源頼朝は亡くなりました。
前年末に行われた相模川の橋供養の帰路、落馬したことが原因だと伝えられています。

相模川の橋供養~源頼朝の落馬と死~



頼朝の墓は、山の中腹にあります。
頼朝の館でもあり、政治を執った大倉幕府を見下すかたちで建てられています。

もとはここに頼朝が建てた法華堂がありました。
現在の墓は、江戸時代に薩摩藩の島津重豪が建てたものです。



~源頼家の墓~



源頼家は、1182年(寿永元年)8月12日、頼朝の長男として誕生します。

鶴岡八幡宮の参道若宮大路段葛は、頼朝が妻政子の安産を願って造らせたものと伝えられています。

頼家は、父頼朝の急死によって家督を継ぎますが、北条氏によって将軍職を奪われ、1204年(元久元年)7月18日、配流先の伊豆修禅寺で暗殺されました(参考:比企氏の乱)。
(※頼家の墓は、鎌倉にはありません。)


~源実朝の墓~

壽福寺の五輪塔
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page137jyufukuji.htm

源実朝は、1192年(建久3年)8月9日に誕生します。
この年は、父頼朝が征夷大将軍となった年です。

頼家が北条氏によって将軍職を奪われると、代わりに将軍の地位に就きました。
しかし、実権は北条氏にあって、蹴鞠や和歌に熱中していたといいます。

1219年(承久元年)1月27日、鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀の式に出席した実朝は、式後、甥の公暁(頼家の子)によって暗殺されました(参考:源実朝の暗殺)。

秦野市の首塚
http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sanetomo-kubituka.htm

実朝は、源氏の菩提寺勝長寿院に葬られました。
しかし、遺骸には首がなかったといいます。

秦野市にある首塚は、実朝の首を葬った場所と伝えられています。


首塚の五輪塔は、もとは木製だったそうです。現在は鎌倉国宝館で観ることができます。

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