2011/08/12

鎌倉散策:源実朝の関係地を巡る

「鎌倉」というと「鎌倉市」と考えてしまうかもしれませんが、それだけだと面白くないので、近隣市の実朝の関係寺社等もご案内します。



~政子安産の祈願所~
(源実朝の誕生)




1192年(建久3年)8月9日早朝、政子が産気づきます。

頼朝は、安産祈願のために鶴岡八幡宮と相模国の27の寺社に神馬を奉納し、経をあげさせました。

逗子の神武寺、伊勢原の大山寺日向薬師もその中の一つです。


~江島神社辺津宮~
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/enosima-jinzya.htm


1206年(建永元年)、実朝の命によって良真が創建したと伝えられています。


~江島霊迹建寺の碑~
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/enosima-jinzya.htm


1204年(元久元年)、実朝が宋国に使節を送った際、宋の慶仁禅師より贈られた石碑と伝えられています。


~大慈寺跡~


頼朝への感謝のために建立した寺です。
1214年(建保2年)には、栄西が呼ばれ大法要が催されたといいます。

現在、円覚寺舎利殿に納められている仏舎利は、大慈寺に納められていたものです。
もとは、実朝が宋より請来し、勝長寿院に納めたものなのだそうです。


~歌ノ橋~


1213年(建保元年)、無実の罪で捕らえられた渋川兼守は、荏柄天神社に十首の和歌を奉納します。それをみた実朝は感動して兼守を無罪にしたといいます。

兼守がお礼に架けたのが歌ノ橋ということです。


~歌碑~


鎌倉国宝館前に建てられた歌碑。

大正12年の関東大震災で倒れた二の鳥居の柱に刻まれています。
「山はさけうみはあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」。

実朝『金槐和歌集』は、1213年(建保元年)ころに編纂されたといわれています。



坂ノ下の海浜公園に建てられた歌碑。
「世の中は 常にもがもな 渚こぐあまの小舟の綱手かなしも」

小倉百人一首に載せられた歌です。


~海~


実朝は、陳和卿の勧めで宋に渡ろうと考え、そのため船を建造します。
しかし、鎌倉の海にその船が浮かぶことはありませんでした。


~船玉神社(藤沢市)~


藤沢市大鋸にある神社。
実朝が宋へ渡るための船の用材を切り出した場所と伝えられています。


~瀬戸神社(横浜市金沢区)~


瀬戸神社の舞楽面は、実朝が愛用していたもので、国の重用文化財に指定されています。


~鶴岡八幡宮~


実朝は、鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀式の後、甥の公暁に暗殺されました。
公暁が隠れていたという大銀杏や、宋から取り寄せたビャクシンの古木が残されています。


~白旗神社~


鶴岡八幡宮の境内にある白旗神社は、頼朝実朝を祀る神社です。


~壽福寺~


壽福寺裏山の「やぐら」には、実朝の五輪塔があります。
牡丹唐草の模様があったことから、「唐草やぐら」とも「絵かきやぐら」とも呼ばれていたそうです。


~理智光寺跡~


定かではありませんが、理智光寺は、実朝の菩提を弔うために建てられたという説もあります。


~龍寳寺~


暗殺された実朝の首は、七騎の武者のよって持ち去り、龍寳寺付近に隠れていたといいます。
そのためか、龍寳寺には実朝の位牌が置かれています。


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